利休に帰れ いま茶の心を問う

立花大亀/主婦の友社/1983年。禅坊主の語るお茶の本

立花大亀の本を読むとなんか和む。
禅の高僧は無理せずに生きてるなー、という感じを受けてしまうからだろう。

ただ、この人の語る茶史は全然主流派な感じのしないむしろ珍説。

利休が堺で切腹していたり、

利休がきれいに掃き清めて、ちり一つない状態にしたところ、紹鴎は一樹をゆり動かして飛石に二、三の葉を散らした。

…これじゃ利休が割と凡人です。


ところが大亀さん、利休の死に関し、以下の様に述べています。

つまり、当時豊臣家には二派あったのです。一つは秀吉の正妻北政所派、一つは若い淀君派です。

まず、豊臣秀長派 VS 石田三成派でないのが驚きです。

そのころ、大徳寺にもやはり二派があって、一つは南派と称し、一つは北派と申しました。その北派に春屋、古渓の二人があった。
そして春屋に傾倒する者に三成がおり、古渓に私淑する人に利休がおりました。

なんと春屋VS古渓の問題として語っているのです。これじゃ春屋が悪者です。

近衛予楽院はこの春屋を非常にきらい、春屋の書いた墨蹟を掛けた茶席によばれて、きょうは嫌な坊主がいる、と言ったというような話が残っています。

珍説の人の言う事をどこまで信じていいの?って感じもするのですが、大徳寺511世が言うとなんかものすごい説得力がある様な気も。

どっちなんじゃー。

利休に帰れ―いま茶の心を問う

利休に帰れ―いま茶の心を問う

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