おいしい茶

どこの国でも客に対しては自分に可能な最高の味を出してこそ、客をもてなす最良の方法だからであります。

松浦素「茶道の心」では、お茶の味が大事である、という事が結構分量を割いて書いてある。

イギリスでは別に紅茶を入れるのに、一定の形式によるにしても、また、道具として銀器を使わなければならないとしても、これを点前とは考えておりますまい。セレモニアスなこととも考えてはおりますまい。

私の紅茶の淹れ方は、ポットもカップも温めず、沸騰した湯をポットに静かにそーっと注ぐ、というやり方である。

Tイソブチメソッドからするとえらく邪道だが、雑味なく香り高くダージリン系を淹れる為に試行錯誤した結果できた方法である。

もし、紅茶を点てるのになんらかのセレモニアルな要素が必要であって、それが私流のお茶の点て方と合致しなかった場合、セレモニアルな要素の為に私はいつまでもおいしいお茶を点てる事ができなかったかもしれない。

考えると、私は濃茶薄茶ともに「こうやれば特においしく点てられる」というメソッドを発見していない。

お茶に点前がある、という事は、創意工夫を阻害する面があるのかもしれない。

というか、茶道というのは、こうやればお茶がおいしく点つ、という事を先人が創意工夫してくれていて、それがお点前という形で集大成されている、というのが大前提だよなぁ。