晦日といえば年越し蕎麦。って事で今回は蕎麦屋の話。


茶人の庵号は、本来、自分の作った茶室の名前に由来するもの。

私は「なにがし庵」とか、勝手に庵号つけてペンネームとしている。別にそういう名前の庵を結んだ訳ではない。


んで、なんで蕎麦屋が「なんとか庵」を名乗るのか、というのに疑問を持っていた。

蕎麦屋の建物って、形式関係なく庵呼ばわりなの?ってのが疑問で。


コムギ粉料理探求事典にこうある。

あん 庵

そば屋の暖簾暖簾には何々庵という庵号が多い。
江戸中期の『武江年表』天明元年(1781)に、浅草に道元庵(京都の知恩院の子院)という寺があり、信州からやってきた道光庵という和尚が大のそば好きであった。勤行を怠り手打ちそばを振る舞ううちに、寛永年間(1748〜50)には、門前市をなす賑わいになり、本寺が激怒して差し止めたとある。
この寺は、関東大震災後に、世田谷の寺町に移る。<不許蕎麦入境内>の碑が、地中から掘り出され今も残っている。
この逸話に因んで、千客万来を願うそば屋が、庵号をつけるようになる。

メジャー店をあやかってただけなんですね…店でも無いけど。


…お茶あんま関係ないね。

コムギ粉料理探究事典

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