禅心の茶と書

古田紹欽/春秋社/1957年。

古田先生はこ難しい事を、よりこ難しく説明する、という根本的に間違っちゃってる人。

前半は、禅僧と禅語の解釈。
内容は通り一辺倒なので説明は省く。

後半は、禅僧とその墨蹟。
墨蹟と書道の書の違いに関し、簡単には言及してくれているんだけど、結局、中国の墨蹟中心。一休等の定評在る有名どころを除くと、巧妙に日本産墨蹟、一行書を回避しながら話が進む。

そして最後。「墨蹟のこと」。

ところで禅僧や居士の書はことごとく墨蹟かといえば必ずしもそうではない。

おお、やっと批判に来たか。と思う。

世間の茶では往々大徳寺ものと言って、大徳寺の住僧の書を珍重する習慣があるが、そのいわれをただせば大徳寺と利休以下の茶人との歴史的関係が淺からぬことから、いつとはなしに大徳寺ものの尊重となったのに過ぎず、大徳寺ものが茶掛けとして特になくてはならぬ理由は存しようはずはないのである。

よーし、いけいけ!産業っつーか工業のレベルに達した大徳寺もののソレを、批判GO!だぜ。

墨蹟になるかならぬかと識別がむずかしいのである。
茶はこの識別がもしできるというに至ったら、おそらくその道奥に達したといっても過言ではあるまい。

あれ?

なんとか寺の誰それは、禅境が駄目だから、俺は墨蹟と認めないぜ!リストぐらい出してみろや。

ぬう、へたれめ!

禅心の茶と書 (1957年)

禅心の茶と書 (1957年)