日本の伝統
岡本太郎/光文社/1956年
僕等の世代だと、岡本太郎は「芸術は、爆発だ!」とかしか言えない言語障害系の人。
関西人だと、エキスポランドの行き帰りに見る太陽の塔の人。
今だと根津美術館帰りに寄るa piece of cake?それはちょっと違うか。
でも、この本は饒舌で、理路整然とした、岡本太郎による日本の美の本。
全然ジャイガンスティックじゃない。文章の無駄もなく、おかげで引用しにくいしにくい。
さて、まず、第一に、岡本太郎さんは、評論家のもったいがお嫌い。
たとえば、「百済観音の前に立った刹那、深遠を彷徨ふやうな不思議な旋律がよみがへつてくる。仄暗い御堂の中に、白焔がゆらめき立ち昇って、それがそのまま永遠に凝結したやうな姿に接するとき、我々は沈黙する以外にないのだ。その白焔のゆらめきは、おそらく飛鳥びとの苦悩の旋律でもあったらう」(亀井勝一郎「大和古寺風物詩」)などとやられると、もうとてもいけません。
アスカびとならぬ、二十世紀びと、俗人雑草どもは、そうじゃない、とは言えないし、気の弱いやつはサアえらいことになったと思ってしまいます。
夢色☆クラシックとか全滅ですね。
面白いのは小林秀雄に招かれた際、出して来る古美術品の善し悪しを当ててしまったが為に、古美術自慢責めに逢うお話。
しようがないからなにかを言うと、それがいちいち当たってしまうらしいのです。
だが私にはおもしろくもへったくれもない。さらにごそごそと戸棚をさぐっている小林秀雄のやせた後姿を見ながら、なにか気の毒なような、もの悲しい気分だったのを覚えています。
美がふんだんにあるというのに、こちらは退屈し、絶望している。
しかし、美に絶望し退屈している者こそほんとうの芸術家なんだけれど。
んで、自分の目で見ろ!とおっしゃる。
誤解しないでほしい。私はけっして炯眼なのじゃない。また芸術家だから訓練があり、発見できるんじゃありません。無邪気に、素直に見れば、だれにだってはっきりしていることなのです。
この辺は、柳宗悦とも共通する意見?なんかどうも違う気がするのですが、いまいち言語化できずモヤモヤします。
だいたい、どうやれば素直で無邪気に見れるか、という点の回答はないので、凡人にできるか微妙な所では在りますしね。
光悦の燕子花図屏風の見方。大和慈光院の石州の庭の見方。
長文なので引用まではしませんが、すごく勉強になる内容。そしてここまで茶の歴史知ってる人が「おもしろ実験茶会」では山盛り生肉の懐石を出したってのがまた、面白くてしかた無い。
お勧めです。
- 作者: 岡本太郎
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1956
- メディア: ?
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 作者: 岡本太郎
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/05/10
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 75回
- この商品を含むブログ (35件) を見る
何回もいろんな出版社から再版されてて、図書館にいろんな版があるみたい。