小笠原諸島

東京から南に1000キロ。そこに小笠原諸島はある。


空港は無いので、船で。片道25時間。あらゆるライフラインが週1で往復する船に支えられた南の島が小笠原諸島である。一度行くと、帰り便が出る4日後までは島を離れられない、と言うなんか大変な島である。


以下、次に行く時の為の備忘録な:

  1. あまり南の島らしい食材は期待できない。でも、どの店も料理上手だった。
  2. シュノーケラー的に父島でアクセスしやすいビーチで最高なのは釣浜。魚影も濃く、水も澄み、海底地形も楽しい。でも岩だらけなのでエントリとイグジットは最悪。あと水はやや冷たい。あとの浜は取るに足りない。青灯台は鮫が見れてうれしいけど。


さて。


絶界の孤島、もともと無人島であったここが、今、日本領であるのは、どういう理由か判らないが、諸外国の船乗りに「ここって日本領だよな?」と思われていた、という事と、幕末から明治に掛けて、この島を名実ともに日本領にしようと植民した当時の政府の力による。

それ以前から住み着いて来た欧米系の人々も、今は日本語を話している。実際ヒゲの外人にしか見えないおっさんがギョサン(小笠原名物のビーチサンダル。履き心地最高)を履いてスーパーで日本語で買物しているのを見ると、ちょっとびっくりもする。


この島が小笠原諸島と呼ばれるのは、江戸時代、浪人である小笠原貞任が、幕府に対し「うちの先祖の小笠原貞頼が発見した島なので自分の領地にしたい」と要求した事から始まる。

この申し出はデタラメで、幕府に否認されている。また、江戸時代というのは、各クランに責任者が居る様な時代なので、小笠原惣領家からも貞頼の存在が否定され、当時としては一見落着となった。


しかし、幕末以降はこの話が小笠原諸島領有の根拠の一つに使われた、らしい。


そのおかげか、父島には小笠原貞頼を崇る貞頼神社があった。…皆インチキだと知ってるのにね。ちょい不思議な感じだ。


で、ここからが茶道ブログとしての本題。

小笠原諸島父島の最大の町、大村。ここをまわったが、「小笠原茶道古流」の看板はなかった。つーか、茶道教室自体ないっぽい。沖縄にだってオアフ島にだって、あるのにね。

まぁ、茶道の先生が成り立つ程の人口がいない、ってのが原因だろうけどね。