茶道具の愉しみ

池田瓢阿/主婦の友社/1985年。


二代目池田瓢阿のエッセー集。

池田瓢阿の考えた事、出会った事が綴られている。


例えば加藤泰造と青山二郎の厳しい交流の場。

「先生、その水指をどけてちょっと御覧になって下さい」
「は?」
「水指をちょっと動かして長板を御覧になってください。傷がついているでしょう」
加藤氏は云われる通りにして「なるほど、傷がついていますね」と答えると青山氏の顔を見た。
「先生の水指がつけた傷です」
「は?」
「水指の底の造りと仕上げが荒いのです」


例えば、若いのに批判精神の足りない茶人「白足袋氏」をやりこめる話。

「さて、茶人が有難がっているこれらの見処をひとつひとつ検討分析してみましょう。
一つ、胴轆轤は粗製の痕跡です。
二つ、腰鉋は粗雑な削り跡。
三つ、竹の節高台は不用意な面取りか、釉掛けの便宜に付けた節である。
四つ、兜巾は雑な削りの所産。
五つ、目跡は重ね焼き、量産の傷跡。
六つ、梅華皮に至っては削り跡の土が荒れた上へ乗った釉薬が充分に溶解せずにで
きた欠陥である。朝鮮でも高貴な人は土物を食器にはしないそうです。
と、この様に批判すれば茶碗の王様もはなはだ哀れを止めると思いませんか」
若い人はぽかんと口を空けて私の顔を暫く見つめていた。

おもしろい。

おもしろいが、なんかモヤモヤした気分になる。


池田瓢阿は竹芸家の二代目である。

茶道具をたつきの道にしている人なんだから、それなりにしがらみやら格式やらでがんじがらめになってたり…しないんだろうか?

なんかエラく自由な感じだ。


私はお茶の先生がうらやましいとは思わない。家元大先生なんて不便過ぎて死にたくならないのかな、と思う。

でも、池田瓢阿という茶人の自由さはうらやましく思う。


…そうか、このモヤモヤは嫉妬なんだな。


茶道具の愉しみ―茶があるということ

茶道具の愉しみ―茶があるということ

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