スーパーカー

子供の頃。

スーパーカーブーム、ってのがあった。


スーパー、今でもそう言わざるを得ない特別な車達。


小学生の私は、スーパーカーの写真を眺めては一日を過ごしていた。

んで、そういう本で紹介するスーパーカーには以下のような車も含まれていた。


どれも特徴ある名車だと思う。…でもな。こいつらスーパーカーじゃないよね?

性能やデザインのいい、割と普通の値段の車だよね?当時は気付いてなかったけど。


スーパーカーは、やはり値段も性能もデザインもスーパーでないといけないと思う。


今の感覚でスーパーカー本を作ったら、これらの車はスーパーカーとして本に載らないと思う。フェラーリ246GTとか、フィアットX1/9とか、オペル マンタあたりも収録されなさそうだ。


さて本題。


唐物と中興の関係もこれに似ていると思う。永青文庫で茶入を見て、そう思った。


唐物大名物と中興名物なんかが並んでいると、その格の差は驚く程だ。


で、誰も試さないと思うけど、中興名物と、現代物の10万〜30万クラスの茶入を並べた時の格の差は、それほどでもないと思う。


式で書くと、


唐物大名物−中興名物 > 中興名物−現代物のそこそこイイ奴


って感じ。…イミフ?


中興名物って言葉は不昧公の定義で、小堀遠州の定義ではない。

が、中興名物相当の国焼の茶入を、小堀遠州が歌銘等によって言葉で飾らなきゃいけなかったのは、やっぱり絶対的な出来がイマイチだったからだと思う。