元旦の茶事
あけましておめでとうございます。
一年の計は元旦にあり。
そこで「元旦に茶事をやった(記録に残る)最初の馬鹿って誰だったんだろう?」と疑問に思ったので調べてみました。
…ありました。
宗及他会記に
永禄十一年
卯正月一日晝 (千)紹安會 宗及 宗二 新五
炉 大かま タヽ天目 つるへ 備前龜のふた
振舞に、鴈ミソウ 木具に
とありますよ?
…なんだ道安かよ。
日曜とかみたいな曜日もなく、今みたいに明確な休日の無かった時代。
だれもがほっこり休める筈の元旦に茶事って「敬虔なクリスチャンがクリスマスにデート」みたいなもので、すっごく異常な行為だったと私は考えている。
数少ない休日である正月にさ、水屋で動員された家人もえれぇ迷惑だったと思う。
ところでこの宗及他会記の次の会。
同正 三日晝 宗易にて、 叱 仲 及
茶湯如常之、
とある。
ところが宗及自会記にはこうある。
永禄拾一年
辰正月三日晝
宗閑、宗悦、了雲、道翁
津田宗及は、1月3日に昼茶事の主人をやりつつ、利休の客に行ける筈がない。
宗及他会記の永禄11年正月は、永禄10年の間違いではないだろうか。
永禄10年は丁卯。永禄11年は戊辰の年である。
永禄11年卯正月というのはしっくりこないからだ。