謎・利休殺し

「利休殺しの雨が降る」収録。
利休と宗恩のなれそめと、その死を書いた中篇。


ストーリーはまぁ、どうでもいいです。
ディティールとかを楽しもうじゃないか。


まず、冒頭。

茶道批判が楽しい。

利休の事跡に真偽不明なものが多いのは

表千家裏千家その他諸流を入れると数限りない愛好家がいる蔭には、流行させておいて、その背後で、名物と称する茶器を贋造して大儲けする徒輩が、昔も今も多くいたという事になる。

道具屋の陰謀だそうです。
真実の歴史は隠されている!的な事を言う人なので、著者の主成分は陰謀論で出来ております。

「南方録」という伝書は
(中略)
尤もらしさ、というのには実は真っ赤な嘘が多い。
(中略)
つまり利休の死後一世紀後の贋本であることをはっきり感づいていても、
本職というべき一人の歴史屋が、それを利用して儲けを計っているものだから、
それへの気兼ねではっきり何もいえないものらしい。

あんまりにももっともらしくないから八切史観は真実だ!という主張なのかも。

つまり、今日伝わっている「今井宗久茶湯日記」と「宗及他会記」の二つは同時代のものとされながら、あまりに内容が相違する。
どちらかが偽物ということになる。
そして「何故こういう偽書が尤もらしく権威をもって伝承されているか」という謎は、こうした会記には「蕪無しの花入」とか、「玉澗の遠寺晩鐘の絵」「松島の茶壷」「犬山天目」といった名物が、びっしり書きこまれているからのせいらしい。
つまり茶湯の歴史を伝える為でなく「名物」とよばれる茶道具類を売る参考資料に
「これなる壷は、これのここに出ています名物でして」
と、写真も何もない頃なので、現れた文字だけを証拠にし勝手に名物を作って、儲ける為の種本と重宝がられたのが、作成されて理由によるものらしい。

らしい…とか言って伝聞風にして説得力を増そうとしてるよね。


さて、八切止夫、それなりにお茶を勉強したっぽくもあるのですが、まぁ自分の解釈を疑わない人なので、うろおぼえっつーか、かなり変な理解になってます。

いろいろ面白くなってしまっておりますので紹介しましょう。

「本非」とかいって、出した茶を口に含ませ本場の明国産か、こちらの栂尾や宇治の茶を当てさせる勝負。

おお、本非のレベルが唐物志向になっている。

材木町に住む天王寺屋助五郎というのは、与四郎と同じ昔のえびす町の出だが、茶事では師匠にあたる津田宗及そのひとであった。

紹鴎→宗及→宗易なのかな?…こんな系譜、八切しか思い付けないでしょう。

そして取りあえず、土師部の流れをくむ楽の里の者に、山上宗二を使いにだして、内緒でいろんな日本産の碗も焼かせていた。

どこかにある?「楽の里」って発想がすげぇ。長次郎の出自は通説ではむしろ渡来人ってのが主流なのですが…そこまでは勉強しなかったんだろうなぁ。


しかしなんですね。荒唐無稽ならばカタルシスが得られる、…とは限らない、というのが良く判りました。
むしろぼやき漫才聞かされたみたいな読後感かもしれません。

隆慶一郎が似たような設定をうまく消化してエンタメに昇華させているのですが、八切は消化してないそのものを読者に叩きつける事しか考えていないせいでしょうか。