利休殺しの雨が降る

八切止夫/作品社/2002年。


八切止夫はトンデモ日本歴史小説の雄。というか、ワン・アンド・オンリー・アンド・ノーモアってな感じ。

表題作「利休殺しの雨が降る」は、利休最期の一日を通し「何故利休は死なねばならなかったのか?」を描いた短篇。


さて、大前提。


日本は古来から二つの勢力が対立していた。その二勢力とは先住民と渡来人であり、狩猟民と農民、神道と仏教、女系家族と男系家族、侍と公家、でもある。
しかしそれは巧妙に隠蔽され、なかった事になっている。それを八切止夫が暴く。

…これがまぁ八切史観って奴なんです。んで、あらゆるものがこの設定の裏付けになるようにこじつけられちゃうんですな。


宗恩は言います。

「もう、こない神徒の<わびの茶>と仏徒の<ばさら茶>が衝突しては、もはや茶だけですむ話でない。…また昔のように、仏を信仰なさる門徒衆や念仏衆と、われら神信心の者とは衝突になる。(後略)」

もう謎は解けてますね。公家となった秀吉、元坊主の石田三成前田玄以が先住民VS渡来人の対立を背景に、先住民族千阿弥の血を引く利休を殺したって話ですわ。


八切史観に従って千利休の死を説明している「だけ」のストーリーなので、これ以上ストーリーに関しては語るところはないってのが正直なところ。


でもそれ以外の八切史観による茶の湯というのが結構面白いので紹介しましょうか。


まず八切史観による侘び茶の創始。


女系社会の先住民は、女ががっちり財布を握っていて:

賭け茶のギャンブルをしに行きたくとも、元手が一文も出してもらえない。
遊びにゆけなくて、一人侘びしく、つつましやかに、屑茶なんか買ってきて呑んでいる内に、ついに侘びしい「わびの茶」という、落ち着いた呑むきりに過ぎない茶が産まれてきた。
(中略)
しかし仏教徒側のように飾りたてたり卓子を囲んで腰かけるのではなく、慎ましやかに坐ってのみ、茶碗も一つで倹約して廻し呑みをした。

しょ、しょっぼーーーん。


竹道具のはじまり:

「これまでの『ばさら茶』では、お茶筅象牙、茶柄杓は唐金ときまっていたのを、吾等は同族のささら衆に作らせた。竹茶筅、竹柄杓、竹の花入れと定めておる(後略)」

雇用創出かよ!唐金の柄杓ってのは見たことねーな。


あと、実はこの小説で一番びっくらこいたのは、話自体でなくその導入だったりして。

恐山の巫女が死人の口よせ、つまり故人になり換って、託宣するのは知られています。
(中略)
そしてその中の一人が、今から四世紀前の千利休の口よせをすると云うのをききました。
(中略)
なお、利休居士が自分で出てくるものとばかり、思っていましたところ、妻女の宗恩の方が代理として現れてきたのです。なるべく「いたこ」の口寄せ通りに縮めて書き写します。

イタコの口述筆記で歴史の真実を暴こうとすんなよ。

…宗恩が出てきたのは利休死んだトコで話を終わらせないためだと思う。
つーか、ぶっちゃけ「蛇責めによる宗恩の死」を語らせたかったんだよね。きっと。


利休殺しの雨がふる (八切意外史)

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