民芸
柳宗悦の意見を要約するよ。
- 茶人は箱書きばっかで道具をちゃんと見てないよね。
- 来歴とか、そういう雑音を排除して道具を見ようよ。
- 無名の雑器にも名物クラスのいいものがあるってば。
- 俺の眼で選んだ「いい道具」は将来の名物になるね。
こんな感じ?
で?
柳宗悦の言う「将来の名物」は名物になったのだろうか?
柳宗悦の眼が選んだ道具たちは、僕達のお茶に影響を与えているだろうか?
ぶっちゃけスリップウェアを懐石に使う様になったのかね?
ハマショーとかカンジローとか、そういう作者名が無くちゃ結局茶に使えないって事はないかね?
柳宗悦の思想は、茶人の因循姑息に敗れた、という言い方もできるのかもしれない。
でも、そもそも柳宗悦の思想は間違っていた、民芸にそんなポテンシャルはない!という方が正しいんじゃないかとすら私は思っている。