民芸

柳宗悦の意見を要約するよ。

  1. 茶人は箱書きばっかで道具をちゃんと見てないよね。
  2. 来歴とか、そういう雑音を排除して道具を見ようよ。
  3. 無名の雑器にも名物クラスのいいものがあるってば。
  4. 俺の眼で選んだ「いい道具」は将来の名物になるね。

こんな感じ?

で?


柳宗悦が死んで、今年は50年(お?もしや著作権切れた?)。


柳宗悦の言う「将来の名物」は名物になったのだろうか?

柳宗悦の眼が選んだ道具たちは、僕達のお茶に影響を与えているだろうか?

ぶっちゃけスリップウェアを懐石に使う様になったのかね?

ハマショーとかカンジローとか、そういう作者名が無くちゃ結局茶に使えないって事はないかね?


柳宗悦の思想は、茶人の因循姑息に敗れた、という言い方もできるのかもしれない。

でも、そもそも柳宗悦の思想は間違っていた、民芸にそんなポテンシャルはない!という方が正しいんじゃないかとすら私は思っている。