茶の改革
柳宗悦/春秋社/1958年。
内容はいつもの通り。以上。
…では、読んだ意味がないのでちょっとまとめるか。
誰も氣づくやうに、初期の茶器ほど格が高く、中興名物に至ると格がずつと落ちる。
この點で、私はいつも遠州の眼を疑ふ。いはんや、後代の品においておや。
西洋中世紀に免罪符なるものを法王廳が出した。これを金で買へば地獄におちぬといふのである。
今の人は「馬鹿な」とあざけるが、これに類したことが目前に兩千家で行はれてゐるのである。
ほら、いつもの柳宗悦。
しかし柳さん…
私は嘗つて『茶と美』といふ本を書き、幸ひにも幾版かを重ねた。或る人は私が餘りにも器物を主にして茶を考へるのと云つた批評をした。
やっぱこういう批判を受けているのね。
やっぱさ、道具からお茶を見ても、お茶を批判する事しかできないと思うよ。
柳宗悦の眼にかなう道具でお茶を点てなければ、どんないい茶をやってもその点で批判されるんだもの。
私は思う。
柳宗悦の茶に対する様々な批判は、ごもっともだと思う。
でも、茶をどうすればいいか、という建設的な部分では、柳宗悦はごくごく限定的な視点にしか立てていないと思う。
体を鍛えて健全な肉体を得れば、それにより健全な心が得られる、みたいな偏った理屈。
だから柳宗悦の言うことってイマイチ説得力が感じられない。
23区では渋谷中央。