平心庵日記 失われた日本人の心と矜恃
昨年亡くなった近藤道生。
博報堂の社長にして風の谷のナウシカの製作にたずさわったひと。
今日庵老分にしていくつかの茶書を書いているひと。
一応私もこのひとの茶書を読んだことがある。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20090416
つまんなかったので華麗にスルーしたが。
さて、その近藤道生の父、近藤外巻の日記を元に、父と鈍翁の交流を回想した本である。
近藤道生の父が小田原の良心的な町医者で、鈍翁と知合い、実質的に主治医の様になり、最期を看取った、というのはしらなんだ。
多くのエピソードは“鈍翁 益田孝”白崎秀雄にもあるから、特別に目新しいという事はない。
しかし、おそろしく細心のもてなしを行う茶人として、ある医者の視点を通した鈍翁像は、貴重である。ま、ややもすれば美化され過ぎている気もしなくはないけれど。
以下、平心庵外巻と鈍翁の会話である。
平心庵が生き竹の花入れはお庭のものですかと問うと、鈍翁は
「そうです。立派そうに見えますが、この辺の土では、この肉厚がせい一杯です」
平心庵が、
「利休が小田原攻めの最中に伊豆の韮山で切ったと伝えられる園城寺など三箇の竹花入れは竹花入れの開山とか元祖とかいわれていますが、かなり肉が厚かったようにも思われますが」
と問うと、鈍翁は謡曲で鍛えた声の調子をこのとき一段と高めて、
「そこなんです。実は私も伊豆あたりであんな竹がありはしないかと随分さがしました。関東地方殆ど全部しらべてみましたが、どうもないようです。関西の土でないとああいう肉厚の竹はできないんですね。園城寺の竹なども多分小田原攻めに来て韮山あたりにいた古田織部が、京都の竹を持ってきていて、名人利休に特に戦陣用の花入れの素材として贈ったんではないでしょうか(後略)
すさまじい研究心。こういう努力にさらに経済力があわさって鈍翁という茶人を形成していたんだな、とそら恐ろしくさえ思える。
- 作者: 近藤道生
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2001/11
- メディア: 単行本
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