石州秘伝 石州三百ヶ条2 茶立候時身のかね居すまひの事

石州三百ヶ条から、茶を点てる時の姿勢と向きについて書いた章を紹介。


石州秘伝本:

茶立候時身のかね居すまひの事

茶を立るに身のかねを本とす。両の膝を左右へ開き臀を畳につけて座す。危座する事を嫌ふ。
四畳半にては炉に真ろくに向かい片膝を少し引き候らへば本正の躰うごかず。
大目にては炉の前角に向つて吉。
三畳にても四畳半にても亭主の座する畳を亭主畳と言名付けて茶入茶碗何にても客の方より其畳へ道具を不置もの也。
風炉の時は風炉に向ひ炉の時は炉に向ふかねあり。然れども真直に計向ふは悪し。身をろくに居て片膝をひけばかねに合ふなり。
炉は炉のふちの隅を身の中に取る也。
所作あつて身を動かすにも畳の真中に我身の真中をあつるやうにいつとても心得べし。
炉のふちの内角外角を目当にするも其時々によろしきを得て中道にかなふを要とす。
只一偏に拘るべからず本式のかねは内角と心得べき也

まず、茶を点てる時の姿勢。
足を広げ、尻を畳に付け、片足を少し引く、のだから、正座ではない。ご丁寧に「危座(正座)は駄目」って書いてもあるし。

想像するにあぐらっぽい。でも、あぐらは足が組まれていてターンもしづらいし、片足を少し引くのも難しい。道具も遠く感じる。半安座みたいなものだったのではなかろうか?


次に向き。
四畳半と四畳台目とで炉の正面に向くか炉の角に向くかが違うのが解せないが、それ以外の部分では炉の角、それも内角に向くことになっているので、それが正式なのだろう。
私の流派でも炉の内角を向く事になっているのでちょっと安心である。


同項目の茶道古典全集本:

茶點候時、身のかね・居すまひの事

身のかねといふハ、我身をしかと居り、釜の蓋を取事の程能きをかねとする也、
釜のふたさへとられは、前くつろき広きほと能也
居すまいとハ、臺子にハ釜も水指等も構はず、臺子の眞中に直に向居る也、是臺子を躰にする故也、
風爐むかしハ小板の右のはつれを我身の中に當る也、
紹鴎より躰用相はなれぬ様に居る也、釜は躰なり、水差は用なり、然ハ躰に向て用にそむかさる様して可然とて、釜に向ひ、又、水差にも背ぬ様に居也、
大目ハ釜の左のくわん付を身の中に用、あて居る也、
是にて釜の躰に向かひ、又水差の用にもそむかぬなり、
一疊半ハ左勝手の左ハ、釜の右かん付を身の中に當て候、右(注釈 左)勝手の右は左のかん付を中に當る也、右勝手の左右は是になそらへ、四疊半ハ躰に向て用ハ捨る也、釜に向ひ、水指ハはつして構ハぬ也、
是いハれ有事なり、末のよすきたるハ嫌ふというヶ條にて可心得。

こちらは「釜の蓋が取れれば、膝前のスペースは広いほどよろしい」みたいな事が書いてある。
これはこれで納得。

躰と用問題は、釜と水指、どちらの利用を優先した向きに座るか、という事だと思う。


一畳半という事は一畳台目。左(本)勝手で炉が左というのは隅炉、右は向切だろう。

隅炉の時は釜の右カンを向き、向切りの時は左のカンを向け、というのはそこそこ納得できる。
で、四畳半切の時は釜優先。これも納得である。



…さて、この2書、びっくりするほど全然違う内容である。なぜか。


実は神津朝夫先生から指摘いただいた。
#ほんといつもありがとうございます。


石州三百ヶ条ってのは、「茶立候時身のかね居すまひの事」みたいな箇条部分を指し、残りの解説部分はいろんな石州流の茶人が書いたものなので、底本によって違って当然との事。


確かにご指摘通り茶道古典全集の解題に書いてある…。勉強不足で面目無い。

しかし同じ項目でもこうも教える内容が変わるのかと思うと「大丈夫かね?」って気持ちになる。


石州秘伝本は石州の家臣藤林宗源の注釈。

茶道古典全集本は石州の弟子怡渓和尚の弟子の小泉了阿の注釈なので、一世代は離れている可能性がある。

正座しない石州秘伝本の方が、初期茶道の雰囲気を残しているのではなかろうか?