茶道四祖伝書4 利休居士伝書 不時の会

利休居士伝書には、利休のぼーじゃくぶじんなエピソードも並んでいる。

天正七年己卯九月の松屋自会記から。

同廿四日朝 不時ニ
千宗易 万代屋宗安 少庵 三人
久政へ
菱釜 真手桶
ヤろう 高中
大壺所望ニ付装束して出す。

宗易口ノ緒ヲ解、口覆を取、アヲノケニ置て其中ニ緒を入、壺を見終て(口の)緒を如前ニ仕給ふ。
此さばき如家伝の也。
次に「壺を床へ宗安上候へ」とも易御申候へ共不上候へバ、易云、「宗安ハ名物持ニ候間上候へ」と申せども不上、又少庵ハチンバナリ、我等ハ行歩不叶候へども上ケ可申候テ床真中へ利休御上(被成)候ナリ。
次ニ存星盆を若キ衆ニ(見)せて給候へ、迚之儀ニ、蛟龍水仙(花)の香合も御見せ候へ」と易御申候間盆香合出す。
(後略)


ある日のことですけど利休、宗安、少庵の三人が急に押しかけて来たんですよ。

利休さんに所望されたので大壺を飾ったんですけどね。

あのおっさん、口の緒を解いて拝見した後、「宗安、壷を床に上げなさい」と言ったんですよ。でも宗安さんははばかって上げなかったわけです。「宗安は名物持ちなんだからできるでしょ?」と利休さんがうながしたけどやっぱムリだって。
少庵さんは足が不自由でそんなのできないですしね…。
あ、いや私ら的には自分の物なんで上げれるけどお客さんのいる床の前にまでいけないっすよ。結局利休さんが床の真中に飾ったんですけどね。

微妙な雰囲気の中、利休さんがまた口を開いたんです。
「あとさー、存星盆とついでに蛟龍水仙の香合も見せてよ。うちの若い衆に見せたいんだ」
えぇええ?

…みたいな話。

  1. 利休不時の茶なのにやりたい放題
  2. 婿は恐縮しまくり
  3. 連れ子の少庵は足が不自由

って事が判る。

利休が婿と妻の連れ子に対し、先生として振る舞っていた事が判るが…あと利休は久政に鷺の絵に対する伝授をしているので、久政に対しても先生意識でやっちゃったのかもしんない。

ちなみにこの3日前にこの三人で久政の会に来ているので、招かれた後、何かの所用で奈良に滞在し、再度不時の会でやってきたという事なのでしょう。

そんときにやりたい放題しなかったのは一応招かれた身としての遠慮だったのかなぁ?