茶道四祖伝書3 利休居士伝書 茶入のせんさく

利休居士伝書には、利休の性格の悪いエピソードが並んでいる。


曲直瀬道三の孫翠竹院*1から聞いた内容を伝え聞いたものの中に以下がある。

易へ常ノ朝食ニなやノ宗及と翠竹と両人参テ色々様々御咄在之。
日本国ノ名物共のせんさく在(之)。
たとへバ、口広、せばし、なり、土、薬、比、一々せんさくなり。
同晩ニ利休へ翠竹今朝之礼ニ行て、国々の所々名物どもノ儀承、一世不成候儀難申尽と云を易御聞候て、先内へ御呼入候て、今朝之道具せんさくを聞満足とハ、何成事を御申候哉。
あのうつけたる、物不知ノ下手の宗及が云たる事を満足とハ、是も同うつけものなり。
昔の名人の誉て名物に成道具を、何とて宗及が分ニて善悪のせんさく可成哉。天下ニ上々の茄子ハ作物、小茄子、松本茄子、富士茄子此四つなり。
右之内一ノ大きなるハ作物なり。口ハ総一せバし。又総一ちいさきは小茄子なり。口一段広し(中略)
せまきが能ニも悪ニも不定、広きも大小も、兎角其物、体(/\)ノ様子次第なり。
たとへバ美人と云ハ、口広かせばきか、大小又鼻ニより目ニよりて美人といふ(カ)。
(後略)

ある日利休の朝会に津田宗及と翠竹が来て、名物談義になりました。
宗及は口が広いのがいいのとか狭いのがいいとか、その場で力説し盛り上がりました。
後礼で翠竹が利休の元に来て「いやぁ名物談義って難しいっすね」と言ったら、利休は翠竹を家の中に連れ込んで御説教を開始しました。
「おめぇ、あのアンポンタンでヘタクソの宗及と同レベルの人間なわけ?ああいう名物談義って意味ないの。例えば茄子の名物と言えば(以下蘊蓄略)ってことで、昔の名人があれいいね、これいいねって言ったのは総体に対してで、個別の場所じゃないの。美人といえば目鼻口の大小だけで決まるんじゃないでしょ?」


とか言ってたって伝聞ですな。

この話から判ること。

  1. 利休は宗及の事を馬鹿でヘタクソと思っていた。
  2. でも朝会の場では話を合わせていた。
  3. 利休は陰口を叩く時には相手を家に連れ込んで外聞悪くない様な配慮はする。
  4. 利休は先人の茶道具に関する評価をそれなりには尊重していた。
  5. 利休は物の例えに「美人の話」を持ち出すくらい女好き。

利休が宗及の悪口を言った話は、利休を持ち上げる為の創作だと思っていたんだけど、必ずしもそうでないのかもしれない、と思えますね。

そして少なくとも、久重の時代には利休はそういう事を言ってもおかしくない人、と思われていたんでしょうな。

*1:普通翠竹院というと道三本人を指すのだが