茶の湯はいつまで廃れていたか

熊倉功夫の著作「昔の茶の湯今の茶の湯」にこうある。

その苦しい家元があったからこそ、お茶がふたたび復興する時代がやってくるわけです。
この復興する時代は、だいたい明治三十年代からはじまってまいります。

熊倉さんの史観では

  1. 明治20年代まで茶の湯は廃れていた
  2. 明治30年代から茶の湯は復興した

の様に読める。

でも、

  1. 明治10年代前半からお茶の入門書がいろいろ出ている。
  2. 明治20年代前半から鈍翁が本格的に活動している

ので、茶の湯の復興は悪くても明治20年代から、もしかすると明治10年代前半からはじまっていていいはず。


熊倉さんの史観は、こう変換すればしっくりくる。

  1. 明治20年代まで裏千家の家元は困窮していた
  2. 明治30年代から裏千家の家元は(経済的に)復興した


世の中の茶の湯が復興しているのに、裏千家の困窮が続いていたのは圓能斎が若造過ぎたとか京都の市場は表千家に押さえられていたとか、東京の茶人は家元なんて屁とも思ってなかったとか、多分そういう別の理由じゃないだろうか?

家元の困窮を社会状況のせいだけにして、裏千家家元の状況を茶の湯復興の唯一の評価パラメータにしてしまうのは、あまりにも家元中心過ぎの考え方だと思う。