♪でもメンバーには諸説あるんだ

利休七哲

蒲生氏郷とか古田織部とか、利休の高弟七人を言う。初出は江岑宗左が言ったことらしい。

人によってそのセレクションは違うけど、基本全員お侍。利休から台子を習った七人衆がベース、という事になっているけど、それ自体結構怪しい気がする。


第一の謎。

なぜ、「利休の弟子」というカテゴリの中に「秀吉」がいないのか?たかだか台子を習った、という伝承があるだけの有楽斎が入っているのに、もっといろいろ習ってそうな秀吉がいない。


第二の謎。

侍、それも大名クラスばっかりが揃っている。町人や僧侶は一人もいない。なぜか?


第三の謎。

どうしてこんな茶人としての実績がほとんど知られてないやつらを含んで構成されているのか?



秀吉がいないのは、利休が秀吉の扶持を貰っていたからだろうか?
パトロンを弟子扱いしては芸道で食ってくことがなりたたなくなるしね。
あと、豊臣→徳川を易姓革命とみなした場合、江戸幕府に対し不敬の可能性があるのかもしれない。


大名ばかりで町人や僧侶がいないのは、士農工商の身分制の中で、大名と商人が同格では困るからだろう。
茶人としての実績のわからない蒲生氏郷なんかより、ほんとは東陽坊の方が弟子代表に相応しいと思うんだが。

あるいは茶を商人起源のものとするより、武家に起源を持たせた方が格式が高いと考えたのかもしれない。ほら、山上宗二ですら、起源を東山殿に求めていたわけだし。


そんで、よくわかんないやつらが混じっているのは、単に七人がいい感じの数だから、七人にしたかったから、だと思う。単なる数合わせ?


で、なんでこんな七人衆が作られたかというと、多分武家にお勤めしていた江岑宗左にとっては「曾祖父は偉かったんすよ〜」みたいな話できてそれなりに都合のよい箔付けだったんじゃないかと思います、はい。