實用女子手紙の枝折

池田澄子/此村欽英堂/1925年。

大正14年の実用書。

本が上段中段下段に分かれていて、いろんなネタがごっちゃに混じっている。

上段 中段 下段
百人一首通俗解 同左 實用女子手紙の枝折
生花の枝折 女禮式の枝折 裁縫の巻
育児の話 茶の湯の枝折 造花術の巻
染物法 靴の手入 四季料理法の巻
洋服の取扱ひ法 西洋料理法
料理に就ての心得
臺所重寶誌

もちろん目当ては「茶の湯の枝折」。

一方に働きて一方に樂みがなければ人間と云ふものは愉快に一生を送る事は出來ぬ
(中略)
貧富貴賎の別なく互ひに交際を温め禮儀作法を失はずして而も高尚で別て樂しきものは茶の湯であるのである。

茶の湯は現代のゴルフに比定される事があるわけだが、大正14年頃は、なおさらそんな感じだったかもしれない。

さて、その中で流儀についての説明。

茶の湯にも亦た色々の流儀があるなれどその家元は千利休にして即ち千家流である。
千家流にも亦た裏と表とがある斯様に色々の流派があるが併し其の流儀は皆な千家流を基礎として其れに多少の工夫を施したる者に外ならざれば千家流をさえ會得して居れば其れにてモウ十分と云ふてもよいのである。

むむぅ。

謝れ!有楽流に謝れ!

あと小笠原家茶道古流にも謝れ!いや謝らんでいい!あそこはお茶堂の流儀を殿様が乗っ取った奴だからな。

まぁ冗談はさておき、利休を千家の祖とすると、現在の三千家のお点前はかなり利休のと違い、むしろ石州流系に利休の点前は残っている、と思うのだが…。
そうでなく宗旦を千家の祖とすると、石州流や遠州流は、全然千家流に工夫したものでない。
ちょいと大雑把な歴史観に過ぎるかもね。