近代の禅僧と茶の湯3 台子
茶の湯と禅のかかわりを示す文の中に以下の記述がある。
また虚堂知愚に師事して大悟した南浦紹明は、帰朝の折に虚堂から餞別として台子と皆具一式を贈られたといわれている。
直截その証左となるものは現存しないが、その背景には日中両国での禅院における喫茶の盛行が窺える。
この話がもし本当なら:
- 台子には本来皆具が付き物であった。
- 台子は台子+皆具の組合せで、中国でも喫茶に使われていた
という事になる。
初期茶道の台子には皆具は使われていなかった、というのは「山上宗二記入門」での神津朝夫さんの指摘であり、確かにその通りである。
しかしながら、本来中国では皆具であったが、日本では当初そのやりかたまでは招来できなかった、と思えば別に矛盾はしないかもしれない。
しかしながら、台子と皆具が組み合わせるものだとしたら、中国でも同じように台子でお茶を点てていないとおかしいことになる。
だが、正座しない中国で、そんな事が可能なんだろうか?
その辺の事は以下でも書いた:
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20110827
それに加え、台子のサイズがなぜか畳の幅に合致していたというのも、とっても不思議な気がする。
中国における台子の使用法は調べてみたいと思っている(でも大変そう)。