武野紹鴎研究2 宗瓦

紹鴎の息子、武野宗瓦。

紹鴎の婿である今井宗久を後見に成長したが、宗久に「親父の道具を返せ」と裁判を起こしたが、信長への付け届けをしなかったので財産を失った人である。

そして又、茶道界の指導者達の宗瓦への厚遇と宗瓦の増長は、同世代の特に利休門下の茶の湯者からの強い反撥になつて宗瓦に戻つてきた。
利休の反骨的な面を継承した、山上宗二は、
  拙子ハ宗瓦ト間悪ク候(山上宗二記)
と明瞭に記している。
そして更に、宗瓦が同世代の支持を失つたことは、彼の茶道史上の地位を欠落させたのである。

戸田先生によると、どうも宗瓦は増上して茶人として同時代には評価がされなかった、という事らしい。

でも、本当だろうか?

そもそも、宗瓦と宗二が仲悪いからといって、宗瓦がハブられてたとは限らないじゃん。
宗二なんてあらゆる人と仲悪そうな人だよ。


今井宗久に全てを奪われ、茶をやろうにも道具も資金も無かっただけなんじゃなかろうか?

まだまだ唐物の一つも持っていないと茶人とは認められない時代で、紹鴎の嫡子としては、世を捨てて侘び数寄になる訳にもいかないもんな。