長闇堂記3 珠光

珠光は南都の人で、眉間寺のあたりに屋敷があったといわれます。

クボゴンの、珠光に対する知識は、なんか浅い。

古市播州は、これも珠光の弟子で、よろずの名人だったと伝えられます。

古市播磨に対しても、いまいち。


クボゴンの生誕と、珠光播州の晩年との間には70年くらいの隔たりがあるので、仕方ないことなのかもしれない。

しかし、どちらも奈良の有名茶人じゃないか?

もし奈良のお茶が連綿と続いていたのなら、地元での伝承がもう少しあってもいいのではないか?

松屋さんも鷺の絵の珠光表具を、利休に教えてもらう始末だし。


もしかして、南都のお茶ってどこかで一度断絶したのだろうか?それとも、伝承とかには元々は全然興味が無く、伝承を重んじる文化自体を堺から輸入したのだろうか?


あと、クボゴンは松屋さんと交流がある割には、珠光や播州の事を知らないよな…教えてもらってなかったのかな?

クボゴンの春日大社と、称名寺や眉間寺の距離なんて数キロでしかない。
おらが地元の茶人…みたいな感覚はなかたんだろうか?