台子

「台子は道の秘伝」と久保権大輔は言う。

茶の湯が東山で発生し、台子飾りもそこで発生したものであれば、初期茶道は本来台子を使って行うものだった筈だ。

みんながしている事なら、秘伝でもなんでもない。

だが、実際には「台子は道の秘伝」みたいになっている。

と言うことは、みんなが台子でお茶をしていたわけでもないのだろう。


秘伝にする理由はなんだろう?

礼金を払って伝授されるものだから、だろうか?

だとすれば、台子を伝授されていない人は、台子を使わないお茶をしていたのだろうな。
現代の平点前と、その茶との連続性はイマイチよくわからないけれども。


つまり「東山由来の台子の茶」と、「東山に由来しない非台子の茶」が初期茶道に共存していて、市井の茶人は後者をしていた。
そして東山をありがたがる一部の人が、金を払ってでも先輩から台子を伝授してもらうようになり、その結果、台子が特別なものになった…のだろうか?

それならば「台子は道の秘伝」な理由がわからんでもないし、また、人によっては
「台子なんて別に特別な習いはないですよ」的な事をいうのもまた、理解できる。