長闇堂記5 茶室
伏見六地蔵の遠州殿屋敷の花畠に、私が茶席を作って茶湯をした頃、松平下総守殿(忠明)が遠州殿の茶会がおいでになったことがあります。
(中略)
「それでは権大輔の茶会へでかけましょう」
その後、大坂の遠州殿のお屋敷のあたりに、寂びた家を作り、菓子の茶会をしました。
クボゴンは
- 遠州の敷地内あるいは敷地近くに茶室あるいは家を建てていた
- 貴顕とも交流していた。
という晩年みたい。
仕覆縫う仕事ってそんなに儲かるのだろうか?土田夕湖に聞いてみたいところだ。…なんか儲かりそうだな。
田舎の貧乏茶人で、四畳半で生活しながらわびしく茶をやっていた…みたいなイメージとはちょっと違って、晩年には(町人としては)リッチでゴジャースな茶人生活だったっぽい。
金を持つと言う事で彼の茶風に影響はなかったのだろうか?