茶室の遺構
「八窓」の名を持つ茶室に、以下の四つが有る。
名称 | 都道府県 | 所在地 | 作者 | 移築元 |
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八窓庵 | 北海道 | 札幌市中島公園 | 伝小堀遠州 | 長浜八幡宮 |
八窓庵 | 奈良県 | 国立博物館 | 伝古田織部 | 興福寺 |
八窓席 | 京都府 | 南禅寺金地院 | 伝小堀遠州 | |
八窓軒 | 京都府 | 曼殊院 | ? |
…まぁ新しいものならもっといろいろあるかもしれないけど、古そうなものはこんな所か。
大体江戸初期近辺の建築で、窓がいっぱいあって、間取りは三畳台目燕庵形式かその変型。
燕庵形式の茶室は沢山あるなぁ…って感想。
現代人が「茶室」と言って連想するのはこの燕庵形式じゃないかと思う。
それに比べ、待庵形式は他に類を見ない。
さて。
山上宗二は「紹鴎の四畳半をみんなが真似た」と書いている。
織部の燕庵形式を真似た茶席は枚挙に暇がない。
では、利休の茶室を真似た人はいなかったのだろうか?
山上宗二は「利休の二畳をみんなが真似た」とは書いていない。
利休の茶室は真似るにやはり厳しすぎるのだろうか?
大阪夏の陣で堺が焼亡したので残っていない、というのもあるかもしれないが…。