八窓

「八窓」の名を持つ茶室は、基本的に燕庵形式かその変型である。


紹鴎四畳半。利休二畳あるいは一畳半。

こういった室町/安土の茶室に比べ、江戸時代の燕庵形式は何故人気が出たのだろうか?


私の推測。

一つは、適切な収容能力があること。

燕庵三畳台目と利休二畳は、収容人数に大差はないが、余裕が全然違う。
二畳は窮屈すぎる。

それを紹鴎四畳半にしても、収容人数も余裕も大きく増えるわけでもない。


二つはこだわれる小間である事。

紹鴎四畳半は簡潔過ぎて変化に乏しく、建築としてこだわりづらい。


んで最後。


燕庵形式は、窓を多くして日光をより取り込み易い、明るい茶室だから。


青磁や高麗を愛用した室町時代と違って、江戸時代には茶道具は「より小さくより黒く」なったからじゃなかろうか?