槐記7 畳

享保十一年正月:

十一日 參候

常修院殿常ニ御物語ニ、疊ニ本末ト云コトアリ、多クハ人ノ知ラスモノナリ、
本末ヲ吟味シテ敷タル疊ハ少キモノナリ、氣ヲ付テ見ルベシト仰ラレシガ、
眞ニナキモノナリ、疊ノ縫出ノ方ヲ本トス、
目モ直ニシテ、拗レモナシ、縫先ハ何トシテモ、目モ半バニ掛リ、拗レモアル故ニ、
爐ノ際ハ本ノ方ヲ敷ネバ、自堕落ナルモノナリト仰ラル、
今モ幸雪 常修院殿御近習 ナドガ能ク覺ヘテ居テ、疊屋ガ叱ラレタリト申ス、

畳表のいぐさを編む時に、編みはじめは目が揃っているが、段々捻れが入って乱れて行くので、編みはじめ側の方を、客付に出そうよ、という教え。

しかし、これって本当だろうか?

畳は消耗品で、古い建築物でも畳は入れ換えられているのが普通だろうし、昨今は畳表は機械編みの均質さだし…検証不能な気がする。

そもそも、本業の畳屋すらその理を解していない、というのは、どうでもいい程度の違いでしかなかったのではなかろうか?

十四日 參候

疊ニ本末ト云コトアリト仰ラレシヲ、再ビ伺フ、

…「常修院殿常ニ御物語ニ」って、三日後にはおんなじ話か…。
きっついのぉ。