槐記8 服紗

享保十一年正月二十八日より:

何藝ニテモ、習ハズニ見取リ聞取リニスルハ、形ガ似テモ、何トシテ、加様ニスルト云譯ガスマヌ故、 此處ニテハ合ヒ、彼處ニテハ違フコト多シ、
服紗ヲ腰ニ付ルコトモ、右ニ限リタル事ナレドモ、今様宗旦流ト云者ハ、必ス左ニスルトモ云ヒ、
又ハ建水ニ従フトモ云、皆誤ナリ、兼テ云通リ、宗旦ガ左ナル故ニ、勝手ニ任セタルヲ見取リニシタル誤ナリ、

服紗は右付けが本当なのに千家が左服紗なのは実は宗旦が左に付けていたのを真似ただけだ、という事らしい。

この文面からは、宗旦が左利きだったかどうかまでは不明、また宗旦が息子達に左服紗を正統として教えたかは不明。


現代では、右服紗は武家、理由は刀を左腰に付けるから、というのが通説。

でも、公家が「右腰が正当」と言っているのだから、少なくも武家は刀を付けるからという理由は否定してもいいのではなかろうか?