槐記18 利休の作意

享保十四年十一月二十日:

世間に、何事にもせよ、する程の事を利休々々と云へども、利休より後に出來たる事も多し、
庭に敷松葉したることは、織部より始れりと云、
(中略)
爐の角を缺きたることも、利休の時はなかりしことなり、

なんでもかんでも利休の作意ではない、という教えが江戸中期にあったというのは面白い。
…いまでも「なんでもかんでも利休さんの作意」みたいに思っている人もいそうな気がするのに。


この時代は茶の湯が爛熟し、贅沢な遊びとなりつつあった時代。


近衛さんも当世風の茶の湯をお嫌いなのか、常々「そうじゃないんだ。本当はこうなんだ。皆知らないんだよね」みたいなことを口にする。


そこで出てきたのが南方録などが示した「利休に帰れ」という思想。この思想は、どうしても利休の神格化と利休の作意を至高とする価値観に陥りがち。

でも少なくとも近衛さんはそうは思っていなかったと思われる。