江岑夏書

江岑夏書は表千家江岑宗佐の覚え書き。表千家伝来なので、一応史料としては一級の筈。
寛文2年からの記載という事になっている。

息子随流斎へ宛てたものらしいのだが、千家の家元に伝えるマニュアルにしてはあまりにそっけない様な気がする。


この書の有名な部分のうち、利休七哲の初出とされている部分。

利休の弟子七人衆と申候ハ、
一番 かもふ飛騨守 五番瀬田かもん殿
三番 細川越中殿、三齋ノ事、 二番 高山右近、南坊ノ事
六番 牧村兵部太夫殿 七番古田織部殿
四番 芝山監物殿

此内、織部市茶之湯能無候、併後、惣和尚ニ成被申候、右七人ハふへん世ニ勝申候、

江岑が息子にこういう内容を伝えたいと思ったとすれば、この頃、利休七哲的な知識が茶道の教授に必要だったと言う事なのだろう。

武家に遠慮せず民間の弟子筋も加えればいいのに、なにかしらの配慮がある気がする。


また最後の部分、よく「織部は才能がなかったのに、名人よばわりされた」みたいなやっかみ文書として知られるが、それはどうだろう?「和尚」を称号として考えたらやっかみだが、「和尚」を才能のある人と解釈すれば「一番素質が無かったのに最後には名人になった」と褒める文章として解することもできるのでなかろうか?

…ま、ないか。

しかし織部まで「武辺世に勝ち申し候」と言われたのは凄いことだぜ。
織部って具体的な武功あったっけか?


あと、この文の謎として序列がある。ならびの順と番号がバラバラなのだ。

横に読むとすると

1 蒲生氏郷
3 細川忠興
6 牧村利貞
4 芝山宗綱
5 瀬田正忠
2 高山長房
7 古田織部

数字順とすると

1 蒲生氏郷
2 高山長房
3 細川忠興
4 芝山宗綱
5 瀬田正忠
6 牧村利貞
7 古田織部

なんなんだろうねこの順?石高じゃないし官位でもなさそう。豊臣徳川政権での序列でもないよな。

常に蒲生が筆頭なのは少庵を匿ったから?
常に織部が最後なのは徳川政権への反逆者だから?
でも他の順番がさっぱり判らない。