へそ茶2 自賣自讃

まずタイトル。自賣自讃は自画自賛のもじりだろうが、自画自賛が悪い意味で使われる様になったのはいつごろだろう?という疑問が。

茶道具屋の最も心配なるは、自ら賣りたる茶器の臨席したる茶會に出づる事なり、相客が何と其茶器を評すべきや、幸にして結構々々と褒め立つれば、胸撫でおろして先づ上首尾と安心すれども、無遠慮なる批評など出で來りて主の機嫌を損ずることもあれば、是れは拙者の賣りたる者ゆゑお手軟にと目配せする譯にも行かず、輕きは背中に冷汗を流し、重きは穴にも入りたき心地するものなりとは、此間の甘苦を經たる道具屋の毎度自白する所なるが、

茶道具屋の一番心配なのは、自分の売った道具が使われる茶会。
褒められればいいが、けなされて亭主の気分が害されたら大変。

…そういう事もあって昔の数寄者は茶道具屋を水屋や末客に置いていたのだろうか?
これならそうそうは変な商品売れないもんな。

東都茶器商中に其人ありと知られたる梅澤鶴叟、或る時三井華精翁の茶會に招がれたるに、偖濃茶手前となりて、翁の柄杓を載せて持出したるを見れば、正しく自身の賣込みたる南蠻の建水なれば、何卒相客の賞玩を得て、夫れとなく主翁に忠勤振を知らせんと思ひ、當実相客たりし本所一つ目の茶菓子屋越後屋の桑原老人に耳打ちし、濃茶了りたる後、其許より主人に申入れ、特に建水を拝見するやう萬事宜しくと頼み置きけり、

梅澤鶴叟は当時の有名茶道具商。越後屋は現在もある越後屋若狭さんの事。

自分の売った建水が使われているのを見て、相客に拝見をお願いしてくれ、とお願いしたわけですな。

斯くて濃茶手前終り、
(中略)
越後屋老人此處ぞと思ひて聲を掛け、見れば結構なる御建水なるが梅澤も拝見致すやうにと申し居れば、御手數ながら後にて拝見と言ひ差して、不圖心附き、是はつひ口が滑りて肝心の種を明したりとて、今更打消さん樣もなく、老人大いに閉口せしが、梅澤は南無三失策りたりと眞赤に爲りて尻込せんしにぞ、相客一同扨てはと感附きて、果ては大笑ひに終りたりと云ふ。

すると越後屋さんは「建水の拝見を!梅澤も見たいよね、ね」くらいの言い方をしたわけです。
それに応じついうっかり「あ、後で拝見させて下さいね」と言ってしまったので梅澤が越後屋に言わせたという事がバレてしまい、「ああ、自分の売った道具褒めて欲しかったのね」というのもバレ、一同爆笑になった、という事だと思う。


多分、道具商が相客に道具の拝見をこっそり頼むこと自体は枚挙に暇がないくらい起きていた事なんじゃないかと思う。バレたので笑い話になっただけで。

教訓は…客が亭主の道具組を知っていても、うかつにお追従をしようとすべきではない、って事かな?