へそ茶3 茶杓の當推量

古筆了仲老は自ら茶杓鑑定の大家を以て任じ居れども、百發一中位の割合にして滅多に的中したることなし、
其的中せざる時は樣々の抗議を申し出で、是れは古人の見誤りならん、夫れは茶杓と筒の入れ違ひたるなあんなど、自説を取つて容易に降服せざる流儀なるが、除外例は周圍の事情より割り出して當推量に成功することなり、
例へば茶杓の鑑定を爲すに、竹花入が遠州作なれば茶杓は必定千家物ならんなど、前後の樣子を窺ひて、切つて放つ一矢の思ひの外的中することなきに非ず、

古筆了仲は「俺茶杓の鑑定できるもんね」と言うものの中々当たらず、しかも茶杓の作者の推量が当たらないと、いろいろ難癖を付ける人だったらしい。


…面倒な人ですな。

でも、趣向の組み方から類推される場合は当てることがあったという。

或る時三井松籟翁の茶會にて瓜生百里翁と同席せしが、頓て茶杓の鑑定となり、了仲先生先づ御發験と言はれたる時、了仲は主人の座に在らざるを幸ひ、小聲にて隣の百里翁に囁き、兎角斯くの如き見當てなき茶杓は、慶首座とさへ言ひ置かば餘り外れぬものなりと言ひけるが、其後筒書附を見れば果して慶首座の作なりけり、
(中略)
翌日招かれて同翁の茶會に出席しぬ、斯くて又々茶杓の鑑定と爲るや、了仲酒でも飲み過ぎしか昨日の事は打忘れて、是れは一本槍に慶首座でげせうと又々例の奥の手を出して、扨て其筒書附を一見せしに是れも果して慶首座なりけり、
此の時百里翁は了仲に向つて、若し昨日のお話を承知せざれば、今日の鑑定一言もなく金鵄勲章功一級と云ふ可き所なれど、既に鑑定の内幕を見透し居れば、まぐれ當りと斷定するの外なしと言ひけるに、了仲忽ち昨日の事を思出し、由なき事を口走りて、可惜今日の奇功を無にしたりとて怏々樂まざりしとなり。

「とりあえず見所無いときは慶首座と言っとけばいいんスよ」と瓜生百里にばらしたら、翌日の瓜生の茶会にも慶首座が出て、当てても関心してもらえなかったお話。


相客が翌日亭主をやっているという事は、何人かで順繰りの茶会をやっているという事だろうか。

瓜生百里が前日の茶会とかぶるのに慶首座を出した。普通は避ける所だと思う。
ということは、多分わざと。


この話の教訓は正当な鑑定ポイントをひけらかすならともかく、はったりの部分はバラしてもなんの得もないって事だな。