へそ茶14 茶會前に鱈腹

十數年前西園寺内閣時代の事かとよ、
益田鈍翁、或る日築地別邸の正午の茶會に、箕浦勝人、大岡硯海、朝吹柴庵、徳富蘇峰、野田大塊の五客を招きいれたる事あり、

明治40年代。鈍翁が5人を招いて茶会をした。

箕浦勝人は郵便報知新聞社長→逓信大臣、大岡硯海は中央新聞社長→政治家、野田大塊は政治家で逓信大臣。割りとジャーナリスト系の多い茶会である。政治的な匂いを感じなくもない。

箕浦氏は嘗て報知新聞社長たりし小西義敬氏の案内にて、栗本鋤雲翁等と共に屡々茶室に入りたる經驗あり。
茶客の時間は正確なるものと承知しつゝも、生憎樣々の用事起りて三四十分遅刻しければ、定めて相客も待兼ねつらんと恐る/\寄附を覗き見れば、朝吹翁が唯一人兀然として控え居るにぞ、
先づは第二着にて仕合せなりしと、兩人頻りに相客を待てども如何にしたりけん容易に來らず、

栗本鋤雲は幕臣から報知新聞のジャーナリストになった人。
箕浦氏は会社の縁でお茶の経験があったので、茶の刻限の厳しさをしっていたが遅刻してしまった。
しかし、遅れて入った寄付に居たのは朝吹のみ。相客はまてども来なかった。

斯くて午後二時を過ぎたる頃、大岡硯海、野田大塊が入り來り、續いて蘇峰子も來會しければ、如何にして斯くは遅參せしやと先づ大岡氏に尋ぬれば、今日は西園寺侯と相會して政治上の要談に時移り、遂に洋食の食卓に就く事となりしが、當方は茶會なりと云へば、大に腹を拵へて然る後一服頂戴せんと、僕も鱈腹仕込んだが、野田などは胃の腑の容積も大きいから、何でも近所隣の麺麭やらハムやら取集めて身動きもならぬ程、詰め込んだよと言ふに、

正午の茶会なのに二時過ぎ頃になって三名が到着。「なんで遅れたの?」と大岡氏に聞くと
「首相と政治向きの話をしてたらお昼の時間が来たので一緒に洋食を食べたので…茶会があると言うことでたっぷり腹拵えしたんですよね。野田なんぞはキャパがでかいので、回りの人のパンやらハムやら食いまくってました」と答えた。

朝吹翁は眼を丸くし茶會に招がれたる者が他にて食事するとは何事ぞやと怪しみ問ふ傍より、蘇峰君は眞面目くさつて、僕も實は茶と云ふから腹の下拵へが肝要と心得、此處へ來る前、天金に飛込んで天麩羅二人前を平げて、今こそ推參に及びたる次第なれと言ふにぞ、

朝吹はびっくりして「なんで茶会前に食ってくるの?」と聞こうとした横から徳富がまじめな顔で「僕も天麩羅屋に飛び込んで二人前食って来ましたので遅れました」と言った。

是れは仕たり茶會とて茶ばかり出す譯にも非ず、是より山海の珍味が諸君の眼前に現はるゝなりと聞き、硯海、大塊、蘇峰三人六目見合ひて呆るゝの外なく、夫れなら何故食つて來たかと腹に手を當てて後悔の體、可笑しくも亦気の毒なりしとぞ。

「茶会って茶が出る前に、お御馳走がまずでるんですけど…」と聞き、三人はがっかり。なんで俺腹いっぱい食って来たんだろーという姿、ちょっと面白可哀想だった。


明治40年代の、著名なジャーナリスト達ですら、茶会の実態を知らなかった、という事が判る。

逆に言うと、本当に素人もお茶に誘われる時代だったという事なのかもしれない。