淡々随筆7 足るを知る

昭和16年の記事。

木の枝を自在とし谷川の水を汲み鳥の囀り野の花を友として一碗の茶を樂しむ春の野立はちやうどこれからです。

昔の人にとって、野点というのはピクニックみたいなものだったのだろうか?
ウキウキしすぎだぜ。

最近では秀吉の故事にならひ、戦陣で茶を樂しむ将士が多くなつたゝめ、より簡便な携帯用がつくられてゐます。

おっと、ウキウキどころじゃない。この文章の対象は「兵隊さんのみなさん」だったぜ。

まづ清洌な流を見つけ、その附近に石を積んで爐をつくる、茶釜は土瓶なり鐵瓶なりを松ヶ枝に紐づるしにでもするか
(中略)
お菓子は土地名物の團子でもあれば結構ですが、
(中略)
お茶が濟んだら携へて行つた重箱の辨當を擴げ、できれば土筆とか蕨とか川のものなどその土地で穫れたものを簡單に料理して頂けば野趣が深くなりませう。

昭和16年春。既に日本は中国で戦争をしていた。

上記の野点の情景を、茶人の浮世離れと見るべきだろうか?それとも、当時のありふれたのんきな戦争観と見るべきだろうか?正直判らない。


でも少なくともまだ、鵬雲斎を戦場に出す事になるとは思ってもいなかったのではあるまいか。

昭和18年の淡々斎にはきっと、こんなのんきな文章は書けなかっただろう。