絵巻切断2 佐竹の巻

そもそも佐竹三十六歌仙絵巻とは何だったのか?
そして佐竹三十六歌仙絵巻を売り出した佐竹家はどうなったか?

非常に興味深い内容。

佐竹三十六歌仙絵巻は秋田佐竹家の家宝で、来歴不明と言う。

木村蒹葭堂は大坂の文人で、十八世紀後半に活躍した人である。
あおの蒹葭堂が模写した時は、下鴨神社の宝物としてこの信実筆の「三十六歌仙絵巻」があったというのである。従ってこの絵巻物が秋田の佐竹家に移ったのは十八世紀後半から十九世紀、つまり幕末にかけての頃であると推測されるのである。

幕末あたりに入手して、大正に手放したのなら、さほど佐竹家の秘宝という程の家伝の品ではない気がする。

絵巻側の主観では、700年ぐらいの時間の中で、50年か100年おじゃましていた程度なのかもしれない。

「壁にかけてあるのは私の息子の肖像画です。小さい時に死んじゃいましたが…。」
和服姿の少年を描いた肖像画が、応接間の壁にかかっているのに目をとめた私たちに気づいた義栄氏はそう教えてくれた。
「一人息子でしてね。あれをなくしたものですから、今は私ども夫婦二人だけです。佐竹の家も私の代で終わりです。」
(中略)
取材の終わった昭和五十八年十二月、佐竹家の当主佐竹義栄さんの突然の訃報が伝えられた。

誇り高き源氏の嫡流。南方三十三館の豪族を謀殺し、常陸中の美女を秋田に持って
いってしまったあの佐竹氏の本家が、こんな寂しい終焉を迎えていたとは…。