實用茶道讀本2 臺子

台子の歴史について。

初代将軍足利尊氏の時代に天龍寺の夢窓國師が宋より臺子を齎してをりましたのが、いつしか大徳寺の襲ふところとなりまして、八代将軍足利義政の時代に南都稱名寺の珠光をして其の臺子を使用せしめ、抹茶の製法、點茶の規矩を本格的に創定するの便益を輿へました。
此れが我國に於ける喫茶史の嚆矢であり茶道の濫觴であります。

いろいろと突っ込んでみるぜ。

夢窓国師は、いったい何を考えて棚なんぞを輸入したのか?その頃の日本人は木の棚程度作れなかったのか?

そして宋の国ではその木の棚はどう使うものだったのか?

この台子は畳の幅と同じサイズだったのか?畳はないよな、あっちには。

で、そんな棚を後生大事に100年以上保存していたのは何故か?足利義政の時代まで茶の湯とは関係ない棚だった筈だぜ?

義政はどこでその棚を知り、茶で使えるなと着想を得たのか?

君台観左右帳記には棚飾りの図はあるが、この台子は収録されていない様だがなぜか?

珠光が抹茶の製法にあたえた影響って具体的に何?

そしてこの台子はどこに今あるの?


…台子というものを神格化する為にいろいろデッチアップしていたら、話に無理がきちゃったんじゃねーかなー。