茶能湯主客獨稽古4 茶史
大正時代の茶史。
武野紹鴎
初中村氏
名ハ新五郎ト云ヒ
武田伊豆守信元ノ後ナリ
(後略)
紹鴎の姓がはじめ中村氏だった、というのはどこから来たのだろう?
若狭武田氏の家臣団には中村姓があった様なので、そこからだろうか?
「茶の湯と生花」とほぼ同じ記述。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20120326
但し一日と朔日では随分違う気がしなくもない。本当に種本が知りたいところ。
あとこういう記述を信じてた人は、慶長の松屋会記に出てくる道安をどう思っていたのだろう?
逆説的に言うと、松屋会記とかはまだ一般に知られていなかった、と言えるんだろうな。