茶道の實際

山村宗謙/實雲舎/1948年。

終戦直後の茶道書。

茶道は日本に創成されたものである。
喫茶の慣習や形式は初めに他國から傳來されたものであつて又幾段階の變遷があつたとしても、現在行はれている茶道は日本人の民族性の然らしめた方法形體をもっている道であると云へよう。

戦争前の茶書に比べ、「皇国の」とか言わなくなったのは当然と言えば当然だが、手の平返しすげえな、とやっぱ思う。

茶道は多面多角ではあるが「道」と云つている通り履み行ふ事が最重要であつて實践を第一とするものである

本書は「点前大事だよ」というスタンスの本。

點茶式法をさけて頭腦によつて茶を味ふとする傾きもある樣であるが、これは式法を氣の抜けた形骸といるからであらうが、視角をかへて觀照すれば點茶は無心創り出す動體美であり式法の洗練せる行為は其まま藝術である。
模倣とか、死んだ形式と見えるのは知性の裏づけを缺き錬成の足らざる時に考えられる事で、むしろ無心の働きに己れを創造し人格を顕現している事に考へ及んで欲しいところである。

ものすごく点前に拘っていて、点前無視するのは馬鹿あつかいである。

この時期こういう本が出たのは、財閥解体などによる近代数寄者の没落で、道具の茶ができなくなって、
茶道の寄る辺が「規矩そのもの」ぐらいしかなくなったという事に原因があるんではないと思うのだが、うがち過ぎだろうか?