茶器の見方5 仕覆の鑑定

著者の眼は茶入だけでなく、仕覆へも向かう。

ただし、言及は裂だけだ。茶人にとって縫製やなんかは割りとどうでもいいものの様だ。

金襴の時代別けに就いて

金襴の製作の時代を分けるには、従來、其の切れ地が我が國に舶來した時代を基として、何々の切れは、何々渡りと稱する習ひと成つて居る。

金襴は、時代時代にユニークなもので、デザインで渡来年代が判る、つまりデザイン=時代で鑑定していいものだった様だ。

純子の鑑定法

純子は金襴と異つて、廣く、世間の實用に供せられた織り物である、随つて、時の比との好みに應じて、幾度と、同一の品を織らせたものである。
夫れが為めに、文樣のみは、同一に見えても、其の出來た時代は、非常に、隔絶したものが、多いのである。

しかし、緞子は同一デザインがいろいろな時代に造られていて鑑定は難しい(というか本編に結局鑑定方法は書いていない)ものだった。


あれ?まてよ?
という事は龍村とかが復刻しまくっているのは、後世にとってはあんまりいいことでない?というか贋作の片棒担ぎ?