茶器の見方4 挽家と薄茶器

今日の中次と云ふ薄茶器は、文琳や丸壺の挽家から轉じて出來たものである。
又、今日の棗は、肩付の挽家から轉じて出來たものである。
昔、未だ、中次とか、棗とか云ふものが、出來なかつた時分には、薄茶を、挽家に入れて、持ち出したものなのである。
(中略)
今日では、何が故に、丸壺を濃茶に用いた時には、中次で薄茶を出すかと云ふ理屈を弁へずに、
古來の仕來りとのみ心得て居る樣であるが、それでは居かぬのである。

薄茶器は元々茶入の挽家からの転用である。だから濃茶の後の薄茶は、茶入とペアになる薄茶器を使いなさい。


と、いう事だと思う。でも例によって疑問が。


まず第一に、初期茶道の会記で濃茶→薄茶という流れがほとんど見られない事。そして濃茶→薄茶という流れが出来た江戸期にはすでに棗や中次が成立していた事。


第二に、必ずしも茶入の挽家が薄茶器に向くものではないこと。全面塗りとは限らないし、そもそも大き過ぎるし。
挽家に薄茶入れたら後の掃除が大変そうだ。あとお点前もしにくそうだ。


なんかこれもまたこじつけっぽい気がするんだよな。