中国と茶碗と日本と

彭丹/小学館/2012年。

中国人の著者が、日本文化に潜む中国文化の影響を考察する本。

…最初読んでて「イザヤ=ベンダサン」みたいな偽外人の本かと思ってしまった。それぐらい違和感がない。
あっち側とこっち側を語る文化論で、あっち側出身だけどこっち側の人にしか思えない、というのはいい事なのかどうか?という気もしないでもない。

本書の論点は四つ。

  1. 青磁に纏わる謎
  2. 天目に纏わる謎
  3. 祥瑞に纏わる謎
  4. 竜紋に纏わる謎

現行書で他人にも読んで欲しい様な内容なので、あまり詳しくは書かないが、いくつか感想。

まず青磁の話から。

著者は言う。

碧玉とは翡翠である。その幽深かつ神秘的な色合いのため、古来、中国で尊重された。中国人の玉への崇拝は、儒家の理想とする君子の徳に由来する。
(中略)
これが、中国の文人知識人がこよなく青磁を愛し、のちに文様の描かれた染付磁器をにわかに受け入れなかった、最大の理由である。

昔、青磁が愛された理由はよくわかった。誰が青磁を招来したか、青磁の日本化とは…など色々興味深く面白かった。
できれば近代に青磁が中国で一般化し、雑器に堕していく歴史も描いて欲しかった。

でも:

馬蝗絆茶碗の謎
(中略)
この「馬蝗絆茶碗茶甌記」の記事に関して、私は二つの疑問を覚えた。
一つは重盛から義政までの三百年間、この青磁茶碗はどこに行っていたのか、ということ。そしてもう一つは、一一七五年頃、馬蝗絆茶碗、すなわち龍泉窯の砧青磁が日本に渡来することは果たして可能であったか、ということである。

なぜ「馬蝗絆茶碗茶甌記」と伊藤東涯をそこまで信用できるのだろう?
重盛から角倉家までの五百年間、この青磁茶碗はどこに行っていたのか?を疑問に思うべきではなかろうか?
「背景に疑問はあっても/来歴に疑念は呈さない」のはちょっと不思議だ。