中国と茶碗と日本と2 天目

曜変天目が何故日本にしかないのか?の謎について。

中国最初の陶磁専門書である清・朱えん(王+炎)の『陶説』(一七七四年成立)はいう。

窯変極佳、非人力所可致。人亦多毀之、不令伝

窯変は非常に素晴らしい。だが、人力でできるようなものではないので、世に伝わらないように、人はたいていそれらを毀してしまう、という。

中国では曜変茶碗は壊される運命にあった。

なぜなら、中国歴代の王朝は易姓革命の瞬間以外、常に超保守的な政権で、あらゆる変化を天意として嫌うからだ。

しかし、この神聖な活動に、窯変という予測のできない異変が起こると、当然それは天意の現われであり、天から与えられた警告だとみなされる。
(略)
したがって、窯変はどんなに素晴らしく見えても、窯から出るなり砕かれる運命にあった。
その変化が素晴らしければ素晴らしいほど、妖気だと見られたのである。

しかし、そんな茶碗が生き延びたのは、好事家が「おすくいした」からだという。

私としては、幕末期に倒幕派に村正が流行したという話に近いんじゃないかと思うのだが、どうだろう?

あと、この説だと、曜変天目以外の窯変した陶器も同じく壊される運命にあった筈だが、そこは考証されているのだろうか?

また、作者はいう。窯変を曜変と名付けたのは命名による日本化だという。

こうしてしだいに自分の眼で唐物を賞玩するようになった日本の茶人は、あらためて窯変点目の世にも稀なる美しさに魅かれた。
そしてその輝きにふさわしい「曜」という字を「窯」に、「卞」を「変」に替えて使うようになったのである。
これは、龍泉窯の粉青釉青磁に「砧」という新しい日本名を付けることと異曲同工ではないか、と私は思う。

これはどうなんだろう?

焼締や灰釉主流の日本では窯変は当り前の存在だった筈。

唐物崇拝の時代をに、窯変というありきたりの名を、宿曜という概念で補強してシノアを気取った精一杯の努力だと思うんだけどなぁ。