茶道支那行脚

後藤朝太郎/峯文荘/1938年。

中国通の文学者が書いた中国茶の湯事情の本。

この著者は中国事情本を幾つも出していた様だが、本書では中国事情本というのにとどまらず、結構本気で茶の湯の本にしようとしていた形跡がある。

正木美術館の正木直彦に序文を書かせ、背表紙に「正木直彦序」と著者名に列記させているのもその一部。

ではその正木直彦の序より。

東亜永遠の平和を確保せんとて、皇軍は容共抗日軍閥膺懲の為に、北支に、中南支に、陸海空軍、相並んで勇躍奮戰して既に曠古の戰果を収めてゐる。

既に支那事変は始まっている時期。戦中の本にありがちな書き出しだが。

若し今回の支那事變に際し、平和工作に當る人々、優越感と戰勝氣分とを懐きながら、彼に對するならば、彼は必ず敵愾心を以て迎へるであらう。
我が威力の續かん限りは、彼を攝伏せしめ、彼を屈伏せしめ得るであらう。
是れは畢竟戰時の継續に過ぎずして、平和の途ではないからである。

日本が強い間は相手は従うかもしれないが、それではいけない、と言っている。

幸な事には、我が紳士には、茶道の嗜好があり、彼邦人士にも茶道の習慣がある。
茶道の眞諦は賓互換にある。主人は賓客の心境に住し、賓客は主人の心境に住するに依て、相互に和敬の年が油然と起るのである。

佐伯太の上から目線の発言に比べて、なんと素敵であろうか。

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20130207

ま、きれい事なんだけどね。