仮説:楽焼の大きさと茶風
昔から、「長次郎の茶碗は小さくてノンコウの茶碗は大ぶりだなぁ」と思っていた。
んで、その理由を「二人の手の大きさが違うからじゃないか」とも思っていた。
でも、そういうもんではないのかも?と思い始めた。
仮説。
長次郎の頃…利休の頃は、吸い茶が始まった頃で、客組も少なかった。
しかしノンコウの頃…宗旦の頃は、一会の客組が多くなっており、大服に点てる必要があり、でっかい茶碗が必要とされた。
…でもちと浅いんだよな。この説。
以下の立証が必要。
- 長次郎の茶碗より、ノンコウの茶碗の方がでかい。
- 利休の頃より、宗旦の頃の方が客組が多い。
まず前者。
大正名器鑑実見記にサイズ記載があるもので計算する。
長次郎の早船、無一物、獅子、俊寛、乙御前、紙屋黒の平均を取る。
#勾当は利休形でないので除外。
高さ:8.03
直径:10.91
ノンコウの千鳥、鵺、若山の平均。
高さ:8.4
直径:12.10
容積でいうと、ノンコウの方が1.2倍大きい。
でも、このデータだけでノンコウがでかいというのはどうか。
客組の件。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20110415
で、利休の頃は平均2.25人だった客が、三斎の頃5.181人になっていた事を書いた。
でも、このデータだけで、宗旦の頃に客組が増えていたと言っていたと言っていいのか。
また、のんこうと同時代の他の作者の茶碗のサイズも大きくないといけない筈。
データの裏付をしないと言い切れないなーという感じがする。