茶人の名書簡

桑田忠親/東京堂出版/1970年。

茶人の書簡を紹介するというやや意味が判らない書物。
どう判らないか、を逆に検討していくつもり。


まず一番最初が佐々木導誉

なお/\まいねんちきやう候へく候
あふみの国ふくなかの年貢のうち百石まいらせ候御ちきやう候へく候あなかしく
延文五年
八月一日
導よ(花押)
少将御房

自分の近江の知行の内百石を知行にプレゼントするよ。でも管理自分でやってね…つまり10町の土地をプレゼント、という意味だと思う。

知行書のたぐいを茶掛けにするという発想が当時あったのだろうか?
趣向に組込みづらいと思うんだけど。


それとも内容はどうでも良かったのか?その場合著者の事を慕って…って佐々木導誉だしなぁ。婆娑羅で闘茶の人の書を茶掛にするというのも考えにくい。


70年代の茶がさっぱり理解できん。