水戸茶道史考9 儒教的な武人の茶

おわりに水戸の茶の特質特色について総括的な考察をしなければならない。
一言にして言えば水戸の茶には儒教的色彩が強かった。

たしかに中国古典から引用したがるし、やたら標語や戒めが多いのは儒教的ではある。
でも普通、お茶に儒教入ると煎茶になると思うんですけどね。

さて、儒教の如き政治や道徳の世界に深入りすると、芸術はとかく顧みられなくなる。
(略)
烈公は天保元年に「御家中ノ(略)」と御殿内と雅楽係の上家を除き音曲を停止すると言う命令を出した。
(略)
町人の娘らは蔵の中に隠れて三味線をひいたという。

儒家にとって音曲は宮中での然るべき時に適切な曲を弾くのが正統。儒家は先祖を祀るものだから、ぶっちゃけ葬式のための音楽がメイン業務。
三国志で禰衡が「文若は弔問に行くのがふさわしい」と言ったのも故無いわけではない。
なのでそれ以外の音楽は鄭衛之音、なんだよね。

つまり烈公の命令は儒教的に正しい。


…でも茶室にさえたくさんの標語。いろんな楽しみは禁止って幕末の水戸は地獄だったんじゃないか。

その反動で、お茶を楽しんでいる老中暗殺まで行ってしまったのかもしれない、と思うと、ちょいと悲しいものがあるね。