水戸茶道史考8 虚栄心を誡める茶説と茶對

何陋庵露地にある腰掛待合の「茶説」と「茶對」について触れることにする。
この二つとも烈公作に係り、公の茶道観を窺うに足る。

という訳で「茶説」と「茶對」の話。

茶説は公の隷書で、縦一尺三寸、横二尺七寸五分の桜板に刻してある。
曰く「人之於禮不可一日無
(略)
烈公は一国が礼を以て興るように茶にも礼が無ければならないとて、茶礼の重要性をこまごまと述べている。
ありふれた道具を使うのを恥じてはいけない。
懐石も質素なのがいい。
古い茶器を尚ぶのは悪くないが、綺麗な物をわざわざ汚くしたり完全な物をわざわざ傷つけたりして古めかしく見せかけるのは虚偽だからいけない。
(略)

長いので略。

次に茶對は径一尺四寸二分の円形の桜の板に草書で刻んだもので、對は応対の意。茶についての問に対する答の意である。
曰く
「或問。子學茶法乎。
我對曰。未也。嘗聞之。
其味也苦而甘。
其器也蔬而清。
其室也撲而閑。
其庭也隘而幽。
其交也睦而禮。
数會而不費。
能樂而不奢。
如此而己矣。
其反之者吾所不知也。
天保壬寅孟春景山」

これは全文。仮想対談風茶の湯の楽しみについて。


幕末に、茶の湯の精神論を二人の大名が語った。

水戸藩士に殺された井伊直弼は茶湯一会集を残した。
直弼と茶湯一会集は水戸藩士であった高橋箒庵により復権し、歴史に残った。

水戸藩徳川斉昭は茶説と茶対を残したが、茶史に大きな足跡は残していない。

なんだか不思議な話である。


でもあれですね。内容に特に異論はないけど、藩主の書いたこういう精神論が書いてある腰掛待合は嫌過ぎる。ほとんどいやがらせレベルじゃねーの?