江岑宗佐茶書13 江岑聞書 茶壺

江岑聞書の後半、誰から聞いたのか判んない部分より。

一、昔ノ名目ニ云 一茶壺 二釜 三茶入 四文字
一、中比ハ 一茶入 二掛物 三釜 四茶壺
一、当代 一茶入 二掛物 三花入 四釜 壺ノさたなし

茶壷の地位の低下に関するもの。

江岑の晩年の話だとしても、当代とは1672年である。
昔、中比とはいつごろだろうか?

「昔」は利休の頃であったと思える。久保権大輔が茶壷が無くて茶ができないのをカンパしてもらったのもこの時代だろうし。

「中比」は難しい。釜より花入が優先になった時代、というのがピンと来ない。
そもそも釜は常に国産だが花入は唐物青磁だったり竹切っただけだったりするので、格がよくわからん。

茶人は自身で釜を作ることはできないし、作らすのも大変。しかし竹を切るのは簡単。
宗旦や宗和が花入を作りまくった時期が「当代」だとすると、「中比」はその前か。
…印象的には中比の期間は短過ぎる気がするなあ。


あと、名物に一回も「茶碗」が含まれていない。

客人の口に触れるものは、例え高価なものであっても「敬わない」ということなのだろうか?