茶道筌蹄10 薄茶器

そして茶道筌蹄の四巻も茶入やら棗やら裂地やらの羅列。

當時は紹鴎形を冩す
其故は元伯より江岑へ紹鴎の墨書にて底に判ある大ナツメへ茶を入れて譲る
後に江岑朱漆にてとめる
今一つを元伯蓋の裏に判を書き仙叟へ譲られし故なり
江岑所持は如心斎三井へ譲る
仙叟所持は泰叟より三村素顕へ傳ふ當時木村氏所持

当時の千家が積極的に紹鴎形を普及させようとしていた事が判る。しかも千家の血脈に重要だったから…みたいな千家内でしか通用しない理由をかざしていたのも興味深い。

そしてそこまで重要な物を他家にとっくに譲ってしまっているのもまた興味深い。
矛盾は感じなかったのだろうか?

老松

妙喜庵の老松を以て原叟数50を製す
茶器の蓋裏に茶器の記曰
山崎妙喜庵茶亭之側有老松(略)

原叟の江戸時代中期、本書の書かれた江戸時代後期と山崎妙喜庵と千家の関係は良好の様に見える。
しかし明治初年の段階で待庵は荒れ果てていた。
本書の書かれた時期から明治初年までは50年。
どういう関係の変化があったのだろうか?